2012年6月26日火曜日

五島後記

五島のトライアスロンの受付のときもらう封筒には、嬉しいことに地元の子供達の手書きの応援メッセージが入っていてとても心が和む。応援ありがとう。

完走したらタオル、メダル、ポロシャツがもらえる。後、手ぬぐいと完走証。

帰ってきて休みが1日半あったのでウェットやトライスーツ、シューズなど汚れた洗濯物を洗って干して、翌日はバイクを洗った。

悲しいことに、バイクからランへのトランジションのときに預けた後、終わって受け取るまでの間にフレームに傷が入っていた。

塗装も剥げ、打刻痕が生々しい。

仕方ないけど悲しい。

2012年6月22日金曜日

第二回五島国際トライアスロン大会(2012年6月17日 父の日)BIKE & RUN part

BIKE乗車は午前8時33分。

kouseiくんの方が着替えがやや早く10数メートル先にスタートしていた。

一旦前に出て富江を回ったがその後、県道49号線を北上する登りでkouseiくんが前に出た。

約30m位後方から追った。

今回は前にボトルを装着しているのでたやすく水分補給できた。

ジョミを5本、乾燥梅を4個ほど入れていた。

25km毎にジョミ1本を摂取する予定。

瀬戸の第一エイド(20km)では水のボトルを1本もらいサドル後方のボトルケージへ。半分に切ったバナナも受け取り走りながら食べた。

今回は脚を残しながらも時間は速く行く作戦にし、クランクは53/39、スプロケットは12-27にした。

登りは軽くクルクル回してややゆっくりめに登った。

kouseiくんはバイクの下りが特に速いのでときどき見えなくなったりまた背中が見えたりの繰り返しで二本楠に抜けた。(34km)

水車小屋前を左に廻り、二本楠交差点で左折。

玉之浦までの海岸沿いの折り返し区間ではS介くんやK太郎くんなどとすれ違い、顔を観ることができた。玉之浦の大宝エイド(46km)でkouseiくんに追いついた。

kouseiくんが減速してボトルなど補給している時に前後が入れ替わった。

大宝で折り返した後は玉之浦を北上しアップダウンを走り荒川エイド(57km)ではオレンジをもらった。

高浜海水浴場脇を通り貝津交差点エイド(69km)を右へ。

いくつかの登りのある区間だったろうか、このころS山さんが追いぬいていった。

三井楽を抜ける頃、池形さんのファミリーが沿道で応援して写真を撮ってくれた。

岐宿のエイド(81km)ではスペシャルエイドを置いていたが一周目は取らなかった。

右折し南へ。比較的長い直線が続き、風もなかったので調子よく漕いでいった。

二本楠交差点を右車線で通過し二週目へ。(90km)

玉之浦の大宝エイド(102km)で補給。

スポーツドリンクとバナナ半切れをもらった。再度西側玉之浦のアップダウンを軽めのギアでこなしつつ、平坦部、下りをしっかり漕いだ。

荒川のエイド(113km)で水ボトルをもらったが、登りで後方に二本目のプラス500gの重さを感じたので、少しだけ飲んで中身を捨てた。

貝津交差点エイド(125km)ではボトルを落としてしまって小さな子どもが拾ってくれたようだった。オレンジももらいそこねた。


いつもなら一番調子の出るはずの北側の三井楽区間で、栄養不足と疲れのため脚が回らなくなってきた。

いつも100km-120km位でそうなるので、来たかと言う感じ。

しかし、今回は丁度岐宿の137km地点のエイドがスペシャルエイド地点に当たっていたため、そこにドリンク、飴、ジェルを置いてある。そのエイドまで数キロ我慢して頑張ってから一旦停まり、シークワーサージュース、ジェルを補給した。

ジョミを4本、乾燥梅を4個バッグ内に補充した。(結局トータルでは、ジョミは6本、乾燥梅3個消費)

そうしていると後方からT中さんが停まらず抜いていったので、飴を口に放りこみ再出発し追いつき挨拶した。

前周回時には岐宿前に居た池形さんファミリーの姿は見えなくなっていた。

きっと先頭グループをとらえるため、バイクゴール、ラントランジション地点に移動したんだろうなと考えながら右折し、栄養の補充も済んだので二本楠交差点へ向け再び脚を回し始めた。

二周目で左折する二本楠交差点の左側テントにはイワイ社長さんが座っていて、応援してもらって力をもらった。

水車小屋前を抜け山道へ。下りへ入り街中に戻ってきた。

今回のコースは街を前に一旦南へ折れ、瀬戸のエイド(157km)を過ぎ、北へ左折。

そして再び北上し中央公園まで走り、ここからU-ターンして同じ道を南へ折り返し、また左折。

夕やけマラソンコースを走って市内へ戻るルート。

最後の瀬戸エイドでは欲張って、スポーツドリンクと水の二本のボトルをもらった。

折り返しではS介くんの顔を見ることができた。

kouseiくんの顔を探したが見当たらなかった。大丈夫かなと少し心配した。

やがて城が見えてきて右折し外堀公園前で降車。

ボランティアの中学生にバイクを預けた。手元の時計ではバイク乗車時間は6時間7分くらい。上出来だった。


バイクタイムはトランジション込みだと、6時間17分22秒、92位(スプリット7時間43分49秒、115位)。

kousei君は補給食を持っていないのがひびいて6時間47分53秒、217位(スプリット8時間14分5秒、217位)。

S介くんは6時間10分13秒、70位(スプリット7時間35分06秒、91位)。
「ゆっくり廻った」というくらい調子悪いのにタイムは十分速い。

着替えテントまで走りもたもた着替えているとアナウンスでK太郎くんの名前を呼んでいた。

きっとすれ違いにテントを出ていったのだろう。テントの中には一緒に居たのかも。

五本指靴下はいつものミズノと間違えてアディダスのを持ってきてしまっていた。こちらは小さくてよく合わない。ゼッケンベルトを後ろから前に回した。

ラントランジットのときに、ジェルを1本摂った。7km毎にジョミ1本を摂る予定にして、最初は4km地点手前でとって、以後行き帰りの中間位で1本ずつ摂取した。最後の復路の10kmではもう摂らなかった。(トータルランで5本消費)というより水分でお腹が冷えすぎてものを摂れなかった。

二周終了時スペシャルエイドをもらってPowerGelを1個とった。

最後の辺りで出た温かい緑茶が最高に美味かった。

乾燥梅もたくさんもっていたが梅干はかなり置いてあり持っていく必要なかった。

14時43分にランスタート。ランはいつもの通り全く脚が回らなかった。

6分台で入り20kmまではなんとか我慢した。

しかし1周目は気力的に、2周目は体力的にかなりきつかった。

二周目入る前くらいからまた右母趾の爪下出血も起こして痛みが出た。

ただ、今回のコースは同じ7kmの往復14kmコースを3周するため、トップの人たちとも何度もすれ違うことになる。

これがよかった。周りを走るみんなの顔、知り合いの顔や走り、歩きを見ながらみんなキツイんだから一緒に頑張ろうという気持ちになった。

また2週目の往路のとき、車椅子の少年が母親と共に出てきてくれてタッチしてくれた。かなりの元気をもらった。ありがとう。

3周目になるとあと一周ではあるが脚はもう終わっていて、7分台まで落ちていき、中盤から最後は8分台も見えつつの7分台。

最後の1kmだけ6分くらいに戻してゴール直前に、抜いていった人がテープを切ったので、少し待って再びゴールテープが張られてからゴールラインへ飛び込んだ。最後だけ笑顔が出た。

ランラップは4時間52分21秒、252位。
総合、12時間36分10秒、159位。男子150位、年齢別25位。

目標の目安の一つだった日の入りの時間、薄暮の中、ゴールした。

kouseiくんは、流石に得意のランラップで順位をあげて盛り返した。ランラップ4時間41分33秒、208位。
総合、12時間55分38秒、200位。男子190位、年齢別17位。

S介くんは、ランラップ4時間36分42秒、189位。
総合、12時間11分48秒、123位。男子119位、年齢別33位。
「出るのをやめようか」と言っていた位なのにしっかり普通に完走していた。
(でも、きっとタイムに満足しているはずがない)

チームバイキング長崎のみんなは、女子トップの東夏海選手を筆頭にみなよい成績だった。

Y村さん、Yないさんのガッツポーズに元気づけられ、Tちさんの笑顔には驚いた。

福岡のT尾さんもすれ違う度に頑張って手を振って応援してくれていたが、なんとBタイプ女子3位。これにもかなり驚いた。

念願の完走は成ったが、不思議と「やっつけた感」というものはゴールした時にも感じなかったし、未だにない。

むしろ、kouseiくんをはじめ周りの友人、仲間、バイキング長崎のみんな、福岡のトライアスロン仲間や、家族、五島の人たち、天候、運など全てに感謝した。年寄りになったのかもしれない。

kouseiくんは、今回始める前に「来年はやめとこうかな」ともらしていたので、今年が最後のつもりでいたけど、終わってみると「来年も絶対出る!」そうだ。

仕方がない。また長い一年が始まりそうだ。

BIKE (FR910XT)

BIKE (Edge500)

RUN (FR910XT)

その他の写真

ゴールシーンはイワイスポーツサイクルの社長さんが撮影して下さった。ありがとうございました。

(2013年3月1日追記)シャワーを浴びたあとは小雨の降る中、宿の近くにある居酒屋「さだ吉」までkouseiくんと一緒にぼちぼち歩いて行った。刺身などつまんで一杯やって楽しんだ。つい先月そこのご主人が他界されたときいた。お悔やみ申し上げます。

2012年6月21日木曜日

第二回五島国際トライアスロン大会(2012年6月17日 父の日)SWIM part

6月17日レース当日。

午前3時50分に起床し睡眠時間はおおよそ6時間弱。

熟睡して目覚めもまあまあ。歯磨きをして、顔を洗っておにぎりを2個食した。

水を飲んで髭剃り、歯磨きをして、ハートレートモニタを付け、トライスーツに着替えた。

使い捨てコンタクトを装着した。

スイムバッグ(ウェットスーツ長袖と下、ゴーグル2個、スイムキャップ)、バイクバッグ(ゼッケンベルト、靴下、タオル、クリアレンズをつけた眼鏡、バナナ味ジェル1個、ウイダーinゼリー1個、水、ヘルメット)、バイク用Special Aid(ウイダーinゼリー1個、シークワーサージュース1個、蜂蜜飴1個)、ラン用Special Aid(ジョミ4本、乾燥梅3個) を持って、朝の4時50分頃出発。

路面は濡れていたが雨は上がっていた。

会場近くにレンタカーを停めたあと、レンタカー屋さんの指示通りにわざと鍵を中に詰めたのだが、kouseiくんがフロントライトを切り忘れていて、後からきくとやはりバッテリーが上がったそうだ。

おまけに、補給食を入れたバッグをホテル自室の入り口下駄箱の上に忘れてきたとのこと。

残念ながら補給食は分けるほどは持ってない。

イワイさんに頼んでジョミ二本頂いたそうだ。後は手持ちにジェルが2本くらいあったらしい。

到着してまず、バイクにかけていたビニールを外し、ゴミ箱へ。比較的綺麗な一枚だけ残してバイクバッグに入れておき、泳いだ後のウェットスーツ入れに使うことにした。

ペットボトルに入れてきた水をときどき飲みながらぶらぶらして、ナンバリングを済ませ、またぶらぶらしていたら、アンクルバンドもらってないのをkouseiくんに指摘されてまた取りにいった。

K太郎くんや、T中さん、A峰さん、S介くん、I形さん、S山さんなどに逢えた。

6時20分過ぎにウェットスーツを着込んだ。

ワセリンを首筋、脇の下、お腹などにたっぷり塗った。

6時30分に入水チェック開始。

スタート地点までの約100mを往復して水温を試した。

気温は19から20度だが、水がそう冷たくなく水温22度とのことだった。

台風4号が沖縄に接近していたにも関わらず、波もなく穏やか。雨も上がって晴れ間すら出ていた。

6時45分から再び入水の合図。約15分近くスタート地点でフローティングしながらスタート時間を待つ。


実はこの大会、誰しも各自の思い入れがあるだろうが、僕にとっては特に思い入れの強い大会だった。

自転車を始めるきっかけになったエピソードがある。

まだこの大会がアイアンマン・ジャパンと呼ばれていた頃の2007年6月のこと。

(なんと調べてみるとこの年も今年と同じ6月17日が大会開催日だった)

ずっと以前、1997-8年頃だったろうか、Niftyで下ビ連っていうMLがあってそこの中で知ったI原さんというTesi乗りの人が居た。

その人のホームページ(ってそのころは言っていた)は「ぶんぶん新聞」っていうとても面白いページで、当直で暇が出来た時など楽しく笑いながら夢中で読んでいた。掲示板もあって随分長く使われていた。


(写真は2007年当時のI原さん、福江港にて)

そのI原さんがいつしか自転車にはまりトライアスロンを始めていた。

そしてアイアンマンになるために長崎にやってきたのである。

ネット上で名前をよく知っていたが、まだ実際に逢ったことのないI原さんにぜひ一度会って一緒に食事しよう、五島に渡ろうと思った。

2007年6月15日金曜日、長崎県人でありながら生まれて初めて五島に渡った。

一緒に食事して明け方近くまで呑んだ。

その時にcoppiさんとも知り合えた。当時僕の体重は最大級に肥えていて84kg位あった。

(自転車を始めると最初の年に75kg位になり、以後徐々に下がって今は68-69kg。

でもこの3年位は殆ど体重変わってない。

レースに来る直前の金曜日朝は67kgだった。)

この初めてI原さんに遭った時に自転車の機種を相談してORBEA Orcaを買うことに決めた。

そしてI原さん、coppiさんをはじめ、たくさんのトライアスリート達がバイクに乗ったり、走ったりトレーニングしたり、呑んだりしているのを間近に観て、以後この五島アイアンマンのことがなんとなく気になっていた。

(きっとこの時にもう既に、自分もいつかは出ようという気持ちになったのだと思う)


それから自転車を始めて3年が経過し少しだけ泳いだり走ったり出来るようなった。いよいよ挑戦の資格も出来てなんとか2010年のアイアンマンに申し込みをして、エントリーも受理されたのだが、開催直前に口蹄疫のためあえなく大会中止となった。

丁度10回目の大会であったが、アイアンマンの契約更新はならず、翌年からバラモンキングと名前を変えることになった。

残念ながらアイアンマンになるチャンスは失われた。


そして4年後の2011年、第1回の五島国際トライアスロンに参加したのだが、前日眠れずあえなくスイムスキップ。

雨の中、バイク、ランを時間内に終えたものの、DNFという結果自体は何も変わりなく、悔しい思いを残した。

そして一年かけた後、今年が第2回大会。

思い立ってから丁度5年目の2012年6月17日。

くしくも当時のI原さんが出場した2007アイアンマンと同じ日にち。

また、その後知り合ったS介さんも、その年に初めてアイアンマンに出場したというのを後で知った。

当時42歳。

不惑を既に2年過ぎてからのその年は自分にとって転機の年となった。

そして今年は47歳(M48)で二度目のロングディスタンスチャレンジ。

いよいよ7時。

毎度のことながらやや間の抜けた音のラッパが富江港に鳴り響いて一斉にスイムスタート。

去年は最後方からのスタートだったのでバトルも殆どなかったが、今年は最前列近辺からスタートしたのでしじゅうバトルが続いた。

脚は引っ張られるは、隣の人の腕は当たるは、頭ははたかれるは、ゴーグルが外れかけて水が入るは大変だった。

しかし何故かかなり精神的には落ち着いて対処できた。相変わらず余り速く泳ぐことは出来ないが、そういうアクシデントが起こりうることを予想、予期して対応出来るようになったのが少しはスイムも成長したんだなと思えた。

600mほど泳いだところでFR910XTが動いていないのに気づいて泳ぎながらスタートボタンを押した。

タイムにはこだわらずゆっくり回ったが、一周目は39分だった。

このペースだったら1時間15分位で回れるかもと思ってやや急いで二週目に突入したら間違ってFR910XTのラップボタンを押してしまってバイクモードに移動してしまった。

浮かびながらリセットして再度MultiSportsモードで開始にするまで4、5分ほどタイムロスした。

2周目は波のうねりが少し出た。

ちょっと迷走もしたようだ。

二三度、ライフセイバーにコース外れを指摘された。

ブイの近くでは混雑するのでやや外側を廻るよう心がけた。

そのせいか距離を200-300mくらい余計に泳いだみたい。

結局スイムアップは1時間26分くらいだったようだ。

水から上がるとなんとすぐ前にkouseiくんが居た。挨拶をかわして、バイクバッグを取って着替え用テントに入った。

上下のウェットスーツを脱ぎ、コンタクトレンズは外した。ヘルメットを被り、ゼッケンベルトを背中側に装着し、眼鏡をかけた。タオルで軽く足を拭いて靴下を履いた。

シューズを履いて、ジェルを2本飲んでからテントを出た。水で口をゆすぎながらバイクラックへ。

スイムパート成績は1時間26分27秒、304位。

kouseiくんは、1時間26分12秒、288位。

S介くんは体調悪い中、1時間24分53秒、264位。

SWIM 1周目(FR910XT)

SWIM 2周目(FR910XT)

その他の写真

2012年6月20日水曜日

第二回五島国際トライアスロン大会の前々々々日から(2012年6月13-16日)

一年間の有給休暇がかなり余っていて使わないと6月に消滅してしまうので、今回は大会週の水曜日午後から始まり、大会後は火曜日までの計6日半休暇を連続でとらせてもらった。

6月13日水曜日午前仕事が終わってから準備にとりかかった。まずバイク梱包。

昨年と同様、Sciconのハードケースに詰めた。

トライスーツ、ジャージ、着替えや補給食など忘れ物がないようにメモを見ながらスーツケース(大)1個にまとめた。

空気入れは緩衝材でくるんで計3つの荷物を作り、6月14日の木曜日お昼頃、大波止のフェリー乗り場近くにある九州商船の貨物受付へ持っていった。

行きは2500円。(なぜか帰りは同じ荷物で1500円だった)

6月15日金曜日の午前11時30分発のジェットフォイルで五島へ渡った。

13時頃到着。

雨がひどく斜めに降っていた。

レインウェアを着込んでトランジションバッグを背負って早足で「うま亭」に向かった。

鯖の焼き魚定食を食べてお腹いっぱいになってまたびしょ濡れで歩いて宿「ビジネスホテル三國」へ。

バッグの中身も濡れて着替えにまでしみこんでいた。

下着、洋服を着替え、30分ほど待っていると預けた荷物がホテルに届いた。

バイクを組み終わった後も、かなりの雨が振り続けていたので、宿の傘を借りて15時頃福江文化会館へ受付に行った。

kouseiくんは、金曜日まで仕事が入っていたので、やむなく土曜日大会前日に五島入り予定。

結局金曜日午後は雨がひどくバイクもランもする気がなくなり、ゴロゴロして過ごした。

帰って部屋でゴロゴロしていたら、FR910XTとシューズのFootPodの同期を取るのを忘れていたのを思い出した。

いつもの黒いAdizeroで来るつもりだったのが荷物を詰める前日にソールの一部が剥がれているのを発見して急遽新しい方の黄色に替えたから。

17時頃、文化会館に出向いて3階の受付で同期をとらせてもらった。

17時30分位、雨が小振りになったところで近くにある居酒屋をiPhoneで探すと「盛」というところがあったので行ってみたが、店自体が見つからなかったので結局知っている「心誠」に出向き、刺身三種盛り合わせ、アカムツ焼き、なんでんかんでんサラダ、握り寿司を食べて、ビール2杯と麦焼酎をストレートで1杯飲んで約1時間で店を後にした。

19時前でまだ明るいし暇なのでぶらぶら歩いて港まで行ってみたがなんもやってなかった。

退屈なのでまた文化会館に行ってみた。

そうすると説明会が済んで中の舞台では出し物をやっていてみんな座って何やら食べていた。

外のテントは雨の中30人ほどが座ってカーボローディングパーティの食事をとっていた。

大分のK太郎くんやカボスくんも居たので挨拶すると、その後ろの席に職場の同僚のK森さんを見つけた。

唐揚げやサラダやカレーなどもらってK森さん、I尾さんの仲間に入れてもらった。腹はいっぱいで少量のサラダとカレーのみ頂いた。

20時過ぎに帰って風呂に入って22時過ぎに眠った。

6月16日、土曜日の朝は5時頃起床。

まだ雨は降り続いていた。

朝食は7時から。

kouseiくんは朝の飛行機で来る予定だが天候が悪く「もしかしたら着陸できないかも」と心配なので、iPhoneでしょっちゅうチェックしていたら、一応離陸はしたようだった。

やがて着陸も無事済んだようでkouseiくんから到着のメールが入った。

ホテルロビーで合流。kouseiくんがレンタカーを既に借りていたので、まずはkouseiくんの受付をするため福江文化会館へ急いだ。

400番までは午前中のバイク預託。kouseiくんは394番、僕は425番だったので11時30分位に持っていった。

ヘルメット、バイク、誓約書を渡してチェック。

バイク、ランバッグ(シューズadizero age、サンバイザー、帽子、5本指靴下、補給食ジョミ4本と乾燥梅4個入りベルト、タオル、ウイダーinゼリー1個)を預けて一旦ホテルに戻り、バイクにかけるビニールやテープを購入し富江湾へ。

雨は結構降り続いていた。昨年と同じような感じだった。

バイクラックに並ぶバイクから自分のOrduを見つけチェーン周り、Di2の電源部、サドル、肘置き、ハンドルまわりなどをカバーした。

昼ごはんは富江の塩エビラーメンと白飯を頂いた。美味かった。

福江に戻り、補給食を買い込んだ。

今年はシークワーサージュース1本と水2Lを購入した。

その後、車でランコースの見学。17時30分位からまた心誠で食事。

サラダ、一口カツ定食など食べた。

ビールはジョッキ2杯、焼酎麦水割り1杯。

翌レース日の朝食用に梅干し入りおにぎりを2個握って頂いて持ち帰った。

19時過ぎにはホテルに戻り風呂に入った。

20時には布団に入った。

眠気はあったが興奮しているのか、やはり、すぐには眠りにつけなかった。

21時になったのでkouseiくんにもらったマイスリー5mgを服用したがそれでも眠れず、22時にもう一錠追加してようやく眠れた。

いよいよレース当日。

3時50分に起床。

次回へ続く。

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