2012年6月21日木曜日

第二回五島国際トライアスロン大会(2012年6月17日 父の日)SWIM part

6月17日レース当日。

午前3時50分に起床し睡眠時間はおおよそ6時間弱。

熟睡して目覚めもまあまあ。歯磨きをして、顔を洗っておにぎりを2個食した。

水を飲んで髭剃り、歯磨きをして、ハートレートモニタを付け、トライスーツに着替えた。

使い捨てコンタクトを装着した。

スイムバッグ(ウェットスーツ長袖と下、ゴーグル2個、スイムキャップ)、バイクバッグ(ゼッケンベルト、靴下、タオル、クリアレンズをつけた眼鏡、バナナ味ジェル1個、ウイダーinゼリー1個、水、ヘルメット)、バイク用Special Aid(ウイダーinゼリー1個、シークワーサージュース1個、蜂蜜飴1個)、ラン用Special Aid(ジョミ4本、乾燥梅3個) を持って、朝の4時50分頃出発。

路面は濡れていたが雨は上がっていた。

会場近くにレンタカーを停めたあと、レンタカー屋さんの指示通りにわざと鍵を中に詰めたのだが、kouseiくんがフロントライトを切り忘れていて、後からきくとやはりバッテリーが上がったそうだ。

おまけに、補給食を入れたバッグをホテル自室の入り口下駄箱の上に忘れてきたとのこと。

残念ながら補給食は分けるほどは持ってない。

イワイさんに頼んでジョミ二本頂いたそうだ。後は手持ちにジェルが2本くらいあったらしい。

到着してまず、バイクにかけていたビニールを外し、ゴミ箱へ。比較的綺麗な一枚だけ残してバイクバッグに入れておき、泳いだ後のウェットスーツ入れに使うことにした。

ペットボトルに入れてきた水をときどき飲みながらぶらぶらして、ナンバリングを済ませ、またぶらぶらしていたら、アンクルバンドもらってないのをkouseiくんに指摘されてまた取りにいった。

K太郎くんや、T中さん、A峰さん、S介くん、I形さん、S山さんなどに逢えた。

6時20分過ぎにウェットスーツを着込んだ。

ワセリンを首筋、脇の下、お腹などにたっぷり塗った。

6時30分に入水チェック開始。

スタート地点までの約100mを往復して水温を試した。

気温は19から20度だが、水がそう冷たくなく水温22度とのことだった。

台風4号が沖縄に接近していたにも関わらず、波もなく穏やか。雨も上がって晴れ間すら出ていた。

6時45分から再び入水の合図。約15分近くスタート地点でフローティングしながらスタート時間を待つ。


実はこの大会、誰しも各自の思い入れがあるだろうが、僕にとっては特に思い入れの強い大会だった。

自転車を始めるきっかけになったエピソードがある。

まだこの大会がアイアンマン・ジャパンと呼ばれていた頃の2007年6月のこと。

(なんと調べてみるとこの年も今年と同じ6月17日が大会開催日だった)

ずっと以前、1997-8年頃だったろうか、Niftyで下ビ連っていうMLがあってそこの中で知ったI原さんというTesi乗りの人が居た。

その人のホームページ(ってそのころは言っていた)は「ぶんぶん新聞」っていうとても面白いページで、当直で暇が出来た時など楽しく笑いながら夢中で読んでいた。掲示板もあって随分長く使われていた。


(写真は2007年当時のI原さん、福江港にて)

そのI原さんがいつしか自転車にはまりトライアスロンを始めていた。

そしてアイアンマンになるために長崎にやってきたのである。

ネット上で名前をよく知っていたが、まだ実際に逢ったことのないI原さんにぜひ一度会って一緒に食事しよう、五島に渡ろうと思った。

2007年6月15日金曜日、長崎県人でありながら生まれて初めて五島に渡った。

一緒に食事して明け方近くまで呑んだ。

その時にcoppiさんとも知り合えた。当時僕の体重は最大級に肥えていて84kg位あった。

(自転車を始めると最初の年に75kg位になり、以後徐々に下がって今は68-69kg。

でもこの3年位は殆ど体重変わってない。

レースに来る直前の金曜日朝は67kgだった。)

この初めてI原さんに遭った時に自転車の機種を相談してORBEA Orcaを買うことに決めた。

そしてI原さん、coppiさんをはじめ、たくさんのトライアスリート達がバイクに乗ったり、走ったりトレーニングしたり、呑んだりしているのを間近に観て、以後この五島アイアンマンのことがなんとなく気になっていた。

(きっとこの時にもう既に、自分もいつかは出ようという気持ちになったのだと思う)


それから自転車を始めて3年が経過し少しだけ泳いだり走ったり出来るようなった。いよいよ挑戦の資格も出来てなんとか2010年のアイアンマンに申し込みをして、エントリーも受理されたのだが、開催直前に口蹄疫のためあえなく大会中止となった。

丁度10回目の大会であったが、アイアンマンの契約更新はならず、翌年からバラモンキングと名前を変えることになった。

残念ながらアイアンマンになるチャンスは失われた。


そして4年後の2011年、第1回の五島国際トライアスロンに参加したのだが、前日眠れずあえなくスイムスキップ。

雨の中、バイク、ランを時間内に終えたものの、DNFという結果自体は何も変わりなく、悔しい思いを残した。

そして一年かけた後、今年が第2回大会。

思い立ってから丁度5年目の2012年6月17日。

くしくも当時のI原さんが出場した2007アイアンマンと同じ日にち。

また、その後知り合ったS介さんも、その年に初めてアイアンマンに出場したというのを後で知った。

当時42歳。

不惑を既に2年過ぎてからのその年は自分にとって転機の年となった。

そして今年は47歳(M48)で二度目のロングディスタンスチャレンジ。

いよいよ7時。

毎度のことながらやや間の抜けた音のラッパが富江港に鳴り響いて一斉にスイムスタート。

去年は最後方からのスタートだったのでバトルも殆どなかったが、今年は最前列近辺からスタートしたのでしじゅうバトルが続いた。

脚は引っ張られるは、隣の人の腕は当たるは、頭ははたかれるは、ゴーグルが外れかけて水が入るは大変だった。

しかし何故かかなり精神的には落ち着いて対処できた。相変わらず余り速く泳ぐことは出来ないが、そういうアクシデントが起こりうることを予想、予期して対応出来るようになったのが少しはスイムも成長したんだなと思えた。

600mほど泳いだところでFR910XTが動いていないのに気づいて泳ぎながらスタートボタンを押した。

タイムにはこだわらずゆっくり回ったが、一周目は39分だった。

このペースだったら1時間15分位で回れるかもと思ってやや急いで二週目に突入したら間違ってFR910XTのラップボタンを押してしまってバイクモードに移動してしまった。

浮かびながらリセットして再度MultiSportsモードで開始にするまで4、5分ほどタイムロスした。

2周目は波のうねりが少し出た。

ちょっと迷走もしたようだ。

二三度、ライフセイバーにコース外れを指摘された。

ブイの近くでは混雑するのでやや外側を廻るよう心がけた。

そのせいか距離を200-300mくらい余計に泳いだみたい。

結局スイムアップは1時間26分くらいだったようだ。

水から上がるとなんとすぐ前にkouseiくんが居た。挨拶をかわして、バイクバッグを取って着替え用テントに入った。

上下のウェットスーツを脱ぎ、コンタクトレンズは外した。ヘルメットを被り、ゼッケンベルトを背中側に装着し、眼鏡をかけた。タオルで軽く足を拭いて靴下を履いた。

シューズを履いて、ジェルを2本飲んでからテントを出た。水で口をゆすぎながらバイクラックへ。

スイムパート成績は1時間26分27秒、304位。

kouseiくんは、1時間26分12秒、288位。

S介くんは体調悪い中、1時間24分53秒、264位。

SWIM 1周目(FR910XT)

SWIM 2周目(FR910XT)

その他の写真

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